出荷調整日常
「すみません、この薬は在庫がなくて……」
薬局のカウンターで、薬剤師が患者に頭を下げる。コロナ禍以降、あまりにも繰り返された光景だ。
出荷調整の付箋と、ファックスの嵐
欠品のお知らせファックスが次々と流れてくる。
その合間に処方箋が出てきて、薬剤師は思わず「どっちがメインの紙かわからない」と苦笑い。
棚には「出荷調整中」の付箋がずらり
まるで七夕の短冊状態。
「お願いごとが叶うなら“薬がちゃんと届きますように”しか書けないよ」と、卸に願いを込めて発注を入れる。
出荷調整のお知らせで千羽鶴でも折ろうか・・・。
ありがたい?患者の一言
「すみません、この薬が出荷調整で在庫がなくて……」と伝えると、患者さんがニッコリして、
「いっぱい余ってるから大丈夫ですよ」
ありがたい……いや、本来は“余ってたら困る”んですけどー!
薬剤師の心の中でツッコミが響く。
薬不足はもはや一過性のトラブルではなく、現場の日常になってしまった。
患者からは「どうして薬がないの?」と驚きと不安が返ってくる。
薬剤師は代替薬を探し、医師に電話を入れ、説明に追われる。
薬を渡せないことほど、心をすり減らす瞬間はない。
ところが、政治や金融の大ニュースが、思わぬ形でこの重苦しい日常の追い風になるかもしれない。
アメリカの「トランプ関税」、そして日本銀行の「利上げ」。
新聞の一面で目にするその言葉が、実は薬局の棚とつながっているというと、少し意外に聞こえるかもしれない。
トランプ関税という追い風

アメリカが高関税を課すと、中国やインドから米国へ流れていた原薬の一部は、行き先を失う。
余った供給先を探すなかで、日本市場に流れ込む可能性が出てくる。いわば「漁夫の利」だ。
もしそれが現実となれば、長らく出荷調整に苦しんできた薬局の棚に、久しぶりに余裕が生まれるかもしれない。
発注した分が予定通り届き、患者にきちんと薬を渡せる。薬剤師にとってこれ以上の安堵はない。
さらに、日銀が利上げに舵を切り、円安が是正されれば、輸入価格そのものが下がる。
原薬の仕入れコストが軽くなれば、ジェネリックメーカーは安定供給に息をつける。
現場で働く薬剤師にとって、政治も金融も「遠い世界の話」ではなくなるのだ。
一時的な光明にすぎない
しかし、この明るい流れに安心しきるのは危険だ。
なぜなら「漁夫の利」は一時的な追い風に過ぎず、日本の薬不足を根本から解決する力は持たないからである。
第一に、承認と品質の壁がある。
日本で使える原薬は厚労省の基準に適合する必要がある。
米国向けの余剰原薬が日本にすぐ転用できるとは限らない。
承認手続きには時間がかかり、「薬がない」現場を即座に救うわけではない。
第二に、薬価制度の問題だ。たとえ原薬が安く調達できても、日本の薬価は長年の引き下げ政策で極端に低く設定されている。
メーカーに十分な利益が残らなければ、生産体制への投資は進まない。
安く仕入れられることが、必ずしも「安定供給」につながらないのがこの国の難しさである。
そして第三に、依存度の問題だ。
原薬が安く余るのは一見ありがたい。
だが、中国やインドへの依存がさらに深まれば、次に輸出規制や工場トラブルが起きた時、日本はまた同じように棚が空になる。
安心は、次の不安の種でもあるのだ。
希望と警鐘を同時に
薬不足に苦しむ現場にとって、原薬が潤沢に入ることは紛れもない朗報だ。
棚が埋まり、患者に笑顔で薬を手渡せる。薬剤師の心にも希望の灯がともるだろう。
だが、それは「嵐の中の一瞬の晴れ間」にすぎない。
政治や金融の風向きが変われば、また暗雲はすぐに戻ってくる。
だからこそ、私たちはこの一時の光を喜びつつ、同時に冷静であるべきだ。
薬価制度を見直し、備蓄と分配の仕組みを整え、国内生産の余力を確保する。
そうした地道な改革なしに、薬不足の根本解決はあり得ない。
さいごに:棚を満たすのは政治の風ではなく、制度の地盤
薬局の棚を満たすのは、ワシントンの署名や日銀の会見ではない。
確かにそれらは一時の追い風になるかもしれない。
だが、本当に棚を埋め続けるのは、日本自身の制度と仕組みの強さである。
薬剤師が患者に薬を手渡せるかどうか。
その重みは経済ニュースよりもはるかに大きい。
だからこそ「漁夫の利」に浮かれることなく、この国の医薬品供給を足元から固める努力を続けなければならない。
……もちろん、ここまでの話は筆者の勝手なシナリオだ。
現実がこの通りに進む保証はどこにもない。
けれど「もしも」を考えながら、ニュースを自分たちの現場に引き寄せて読むことは、薬剤師として大切な習慣だと思う。
実際に、様々なニュースから予見される出荷調整というものも今までたくさんあったのですから・・・。